元祖マラソン足袋を見て思ったこと

 

日本マラソンの父といえば

そう、金栗四三さんです。

 

金栗さん縁の土地である

玉名市と和水町に行ってきました!

 

2019年からの大河ドラマが決まり

市役所や公民館では

かなり盛り上がってます!

 

そこでは、金栗さんが実際にしようしてらっしゃった

元祖「マラソン足袋」もありました!

 

残念ながら撮影はできなかったんですけど

すごく感動しました。

 

ホントにシンプルな造り。

もちろんクッションなんてありません。

 

ただ、弊社で販売している「ランニング足袋」と

 金栗さんが履いてらっしゃった「マラソン足袋」は

少々立ち位置が違うかもしれません。

 

金栗さんの時代の「マラソン足袋」は

「それしかなかった」わけです。

 

要は、今の時代みたいにハイスペックなシューズが

あるわけではありません。

 

選択肢がなかったわけです。

 

しかし、弊社で販売している「ランニング足袋」の場合

他の多くのハイスペックなシューズを選ぶっていう選択肢がある中

あえて「ランニング足袋」という選択肢なわけです。

 

事実、金栗さんはそのあと

ハリマヤっていう足袋メーカーとシューズ開発を進めていきます。

 

だから、方向性が真逆なわけです。

 

ただ、そこに共通する考え方と言えば

「すべてのランナーのために」っていう情熱だと思うんです。

 

モノがない時代は

モノによって問題は解決するはずだっていう

考えになる。

 

事実、モノ、つまり文明によって

解決した問題はたくさんあります。

 

ただし忘れちゃいけないのは

文明によって生まれた問題もあるということです。

 

金栗さんが生きてらっしゃったら

今のランニングシューズをご覧になって

どう思われるでしょうか?

 

今のランニングシューズを履いて走ってるランナーが

ランニングによる故障で悩んでいる姿をご覧になって

どう思われるでしょうか?

 

事実、金栗さんはマラソン足袋を履いて出たオリンピックで

足が痛くなってペースダウンしたっていう日記が残っています。

 

後進にはそんな思いをさせたくない。

だからこそ、ハイスペックなシューズを作る必要がある。

 

そういう思いでランニングシューズを作り始めたのに

故障で悩むランナーは、どうでしょう?減ってるでしょうか?

 

ランニング足袋にクッションがないのは

人間として自然な走りを身につけるためです。

 

じゃあ、自然って一体なんでしょう?

 

自然とは本質。

本質とは、事実と意見を切り離したものです。

 

要は、自然は優しくもなければ厳しくもない。

ただそこにあるだけ、ということです。

 

そこに意見というか、意味づけをするのは

私たち人間の特権です。

 

自然を優しいと捉えるか厳しいと捉えるかは

あなた次第ということです。

 

では、ランニング足袋履くことで

自動的に人間として自然なランニングが身につくかと言えば

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 

自然なランニングを追求する過程で

痛みが出たりすることがありますけど

これもまた自然。

 

もちろん、すごく気持ちよく走れることもありますけど

これもまた自然。

 

だから、痛みっていう自然を

ネガティブにとらえるか、ポジティブにとらえるか

それによって走りが変わってくる。

 

これが自然なランニングです。

 

ランニング足袋を履くことで何かが変わるわけではなく

ランニング足袋を履いてあなたが変われば

何かが変わります。

 

金栗さんの足袋を見ながら

そういう思いに耽ってました。